2015年9月28日月曜日

【秋田の旅】 1日目 花山峠を越えて横手まで

シルバーウィークに遅れること1週間、今日から5日間の休みになったので、どっかにいくことにした。目的地はまた例によって「どっか」という適当さなのだが、とりあえずまとまった日数が確保できたので遠くへ行こうと思い、目的地を秋田に設定した。実は私、秋田には行ったことがない。

5日間の休みだが、どうも最終日に当たる金曜日の天気予報が雨(台風?)なので、実際にはもっと早く帰ってくることになるかもしれない。



とりあえず前日あたりから、Google Mapに行きたい場所をマーキングしながら、なんとなくルートが見えてきた。仙台を発し、栗駒山わきの国道398号から横手方面に秋田入り。角館 → 秋田 とまわって、あとは日本海沿いに南下。そのまま山形に入って鶴岡から六十里街道 → 関山街道で仙台に戻る。なんとなく、仙台・秋田・庄内を反時計回りに一周するルートになる。

時間があれば角館から大舘、能代を回って秋田まで大回りすることも考えているの。が、途中で立ち寄る場所でどれだけ時間がかかるかわからないし、移動手段も50キロちょいしかでない原付なので、カーナビの到着予定時刻があてにならない。いつもなんとなくのルートは想定していくのだが、ほぼその通りにはならない。もっとも、旅はその方が面白い。

■ 川口城

一日目は、とりあえず秋田県の横手を目指すことにした。

仙台からは国道4号 → 457号 → 398号のルートでひたすら北上。秋田に入る前に立ち寄ろうと思ったのが、栗原市の川口城址。戦国時代には大崎氏傘下の狩野修理の居館。このあたりは、ちょうど大崎氏と葛西氏の境界線に位置する。江戸時代には仙台伊達藩の領土となり、「所」として存続した。ここの領主となったのが遠藤氏で、「中野宗時の乱」で登場した遠藤基信の子孫である。


なかなかの山で、山頂までの階段の先が見えず、登る気力を奪う。後で調べたところ、山頂は約125メートルに対してふもとは標高70メートルの、比高約50メートルといったところ。山城としては高いに越したことはないが、江戸時代の当地の拠点としてはいささか不便である。おそらく、江戸時代には政庁としての居館が麓に設けられたことだろう。


階段を登りきると、八雲神社があるが、本丸にしては狭い気がする。今回、この川口城に関しては遠藤基信の関連でどんな場所だか気になって、ちょうど秋田へのルート上にあったので立ち寄ってみた程度。伊達四十八舘についてはいずれ全て制覇しなければ、と思っているので、そのうち本格的に調査に訪れることになると思う。

■ 寒湯番所跡

398号沿いに北上すると見えてくるのが、仙台藩寒湯番所跡。仙台藩に27か所あった番所(=関所)のひとつで、領土を接する秋田佐竹藩との境目である。ちなみに「寒い湯」と書いて「ぬるゆ」と読む。なぜ!?

写真にある四脚門は現存のものとのこと。明治2年に発布された関所廃止令により、全国の関所はことごとく廃されたため、このように遺構が残っているの関所というのは、全国的にも大変珍しいそうで、国の史跡に指定されている。

役宅。こちらは安政4年(1857年)建造。

現在の宮城県と秋田県の県境は、近世の仙台伊達藩の秋田佐竹藩の境界と一致する。そのため、これから峠を越えて秋田入りするぞ、という期待を前にしてこういう関所跡を見学できるのは、気分がオーバーラップしてとてもテンションがあがる。ここからいよいよ、花山峠を越えて秋田県に入る。

■ 花山峠

現在の国道398号は、歴史的には「湯浜街道」という。現在のルートも、たどっていくと三陸の志津川港へいきつく。というわけで、三陸の海産物を秋田側に輸送するためのルートだったそうで、湯浜街道の「浜」は三陸海岸を指しているのだろう。「湯」はこの先にある湯沢のことだろうか。


さきほどの関所跡のあたりから宮城県側のルートは1車線程の道幅になり、急なつづら折りが続く。これぞ峠。こういう道は、車よりも二輪の方が走っていて断然楽しい。



途上には、栗駒山が眺められるスポットがちらほら。山頂はすでに赤く染まっていて、紅葉が始まっている模様。

そして、人生初の秋田県入り。途中、他にも景色のいい場所はあったのだが、走るのが楽しくて立ち止まって写真を撮るのがめんどくさかった。ツーリングあるある。

ところで、同じ国道398号線なのだが、秋田県に入った途端にきれいな2車線道路に変貌する。似たような現象は宮城・山形間の関山峠、笹谷峠でも見られる。関山峠(国道48号)はどちらも2車線道路なのだが、山形側はところどころに登坂車線や待避所が設けられているのに対し、宮城県側にはなにもなくだいたいどの年も峠のどこかで雪崩がおこって通行止めになるのだが、たいていは宮城県側である。笹谷峠(国道286号)も、宮城県側はつづら折りが激しいのに対して、山形側は比較的なだらかなカーブが続く。

どうも宮城県は、峠ルートの整備に対してケチらしい。もっとも、現在宮城県側の関山街道のあちこちで工事を行っているので、なんらかの対策はしている模様。

■ 小安狭

秋田県に入ると小安峡なる景勝地・温泉があるらしく、一応マークはしておいたものの、花山峠のいたるところで絶景がおがめたので、素通りでいいかな、と思っていた。ただ、国道のわきに渓谷にかかる橋が見当たったのでちょこっと立ち寄ってみたところ、小安峡をナメていたことを痛感した。




た、高い!

写真だと伝わりにくいのだが、拡大すると川の脇に遊歩道があり、そこを歩いている人の姿が映っているのがわかるだろうか? その大きさを比較すると、渓谷の深さがお分かりいただけると思う。橋には二人のおじーちゃんがいたのだが「いやぁ、高いですねぇ」とあいさつすると「ケツの感覚がおかしくなっちめーわ! はは!」と返答された。高所で尻がゾクっとなるあの感覚である。自分も然り。ここでバンジージャンプをやったら、さぞ楽しいことだろう。


なお、小安峡の少し手前の国道沿いには、小安御番所跡がある。こちらは、同じ湯浜街道の秋田佐竹藩側のもの。

■ 伝統的建築物群保存地区 増田

ここからはほぼまっすぐに横手を目指すのだが、一か所だけ立ち寄ったのが、増田。江戸時代に物流の拠点として栄えた場所で、要は商人の町である。昔ながらの建物が残り、「伝統的建築物群保存地区」に指定されている。蔵の街並み、ということで、雰囲気は同じく商人の町だった宮城県の村田と似ている。

戦国時代には増田城なるものが存在したが、一国一城令により廃城。蔵の街並みからすぐの場所だったので行ってみたのだが、現在は小学校になっており、遺構らしきものはほとんど見当たらなかった。小学校の敷地沿いをなんとなく土塀らしきものが囲っているのだが、ただ小学校の境界として整地したもののようにも思える。うーん。


保存地区では蔵の内部見学なんかもできるらしく、本当はゆっくりと見学したかったのだが、村田で見たものと似ていて既視感があったことと、15時から雨の予報が出ていたので、町並みを歩いただけで満足して目的地の横手へ向かうことに。

■ 横手やきそば

今日は朝から快晴で、峠越えも最高だったのだが、増田に着いたあたりから曇り始め、横手まであと10分ほどのところでポツポツと降り出し、予約していた宿まであと少しというところで猛烈に降ってきた。びしょ濡れになりながら、宿にチェックイン。

宿についてからしばらく休んでいると、雨も止んだので夕飯を食べにいくことにした。なんとなくこってりしたラーメンが食べたいなぁと思っていたのでラーメン屋を検索すると、なぜか画像にやきそばが。なんでもこの横手は「横手焼きそば」なるものがご当地グルメとして有名らしい。自分、こういったB級グルメに目がない。高尚なグルメを出されるよりも、B級グルメを大盛りでがっつり食べたい派。

せっかくなので食べてみたところ、ソースの具合とか、自分の好みにぴったり! 横手焼きそばの特徴としては、

・目玉焼きがのっていること
・若干水分が多め
・しょうがの代わりに福神漬けを添える

といったところらしい。今回立ち寄ったのは「らーめんへのかっぱ」というお店で、本来はラーメン屋らしい。平日の5時台なのにも関わらず、結構人が入っていた。横手では「横手焼きそば四天王決定戦」なるイベントが毎年行われているそうで、この店もなんどか四天王に選ばれたらしく、店に賞状が飾ってあった。横手駅からも歩いて1分。おすすめ。

明日は、横手城を見学してから、何か所かたちよって角館、秋田を目指す予定。どこまでいけるかは、明日になってみないとわからない。

続く

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