■ 朝からいきなりハーレム状態
某所の風景。ドラマ化もされた某野球漫画で有名な 某街の、某一級河川をはさんで手前側が某所である。 |
話をしてみると、そのご婦人方は短大のときに同じ寮に寄宿していた仲で、いわば「同じ釜の飯を食った」仲だという。定期的に集まっているらしく、今回、幹事になった朝子さんの地元である新潟が同窓会の場所として選ばれ、ゲストハウス人参に泊まったのだとか。
そのご婦人方が学生の時に暮らしていた寮が関東の某所という場所にあったのだが、奇遇にもそこは、筆者も学生時代に一人暮らしをした場所であった。時代の差はあれど、同じ某所で暮らしていた人間が、たまたま新潟という旅行先で出会うという偶然!
「えー! 某所ですか! 僕も昔住んでましたよ!」
「あら、ホント!? っていっても私たちの下宿時代なんて、あなたの生まれる前の話でしょうけど笑。これからあたしたち、朝のお散歩に出かけるんだけど、よかったら一緒にどう?」
...と、誘われるがままに、朝の新潟の散歩がノリで始まった笑。ご婦人方に囲まれて、ハーレム状態である。こうやって、旅先で出会った人と意気投合して一緒に街を歩くのも、なんだかバックパッカーらしくて懐かしい。
■ 古町通と新潟の都市軸
ゲストハウス人参は、新潟の「古町通」という歴史ある街並みの3番町に位置している。
古町通は新潟の都市軸のひとつ、といって差し支えないのだろう。あるいは、メインストリートと言ってもいいのかもしれない。通りは1~13番の町にエリア分けされており、5番町から国道7号にぶつかる9番町までが繁華街になる。仙台でいうところの国分町エリアだ。
駅前と昔ながらの繁華街、という風に、町の中心点がふたつ存在するのは、仙台と似ている。大きく違うのは、新潟の場合ふたつの中心の間に信濃川が横たわっていることだ。
古町通はおおむね信濃川に並行しており、軸としてはナナメっているので、今思えば新潟の街をあるいていて方向感覚がつかみにくいのはこれが原因だったかもしれない。
古町通は東西をそれぞれ西堀通、東堀通に挟まれており、これらに直交する道は「小路」と呼ばれる。東堀通のさらに東には本町通があり、こちらもメインストリートのひとつとなっている。とりあえずこれだけ覚えておけば、新潟中心部の街歩きは大丈夫だろう。
■ 白山神社とやすらぎ堤
古町通1番町のとなり、いわば通りの起点に位置するのが白山神社で、朝の散歩の最初の目的地はこちらになった。ちなみに「しらやま」ではなく「はくさん」神社と読む。
古町通アーケード街の起点。振り返ると…
白山神社の鳥居。朝の散歩には絶好の快晴。こちらのサイトによると、日本海側気候に属する新潟は全国的にみても晴れの日が少ないことがわかる。とてもラッキーだったといえるだろう。
山門 |
そして拝殿でお参り。
白山神社は、2度の大火で史料が焼けてしまったため、正確な創建時期は不明である。しかし、戦国時代にはすでに大社として知られていたようで、上杉景勝が戦勝の帰途に鏡を寄進している。現在は新潟県を代表する神社として知られ、新潟の人にとって初詣といえばまず弥彦神社、次に白山神社となるらしい。
そのまま白山公園を横断して、信濃川の河畔、やすらぎ堤へ。
信濃川(長野県では千曲川と呼ぶ)河口の堤防で、ここも新潟観光の定番らしい。花火大会の日には多くの人で埋まる。
この日はまず図書館や観光案内所で、下調べをしてから新潟市内をゆっくり回ろうと考えていた。
ところがこのお散歩タイムを通して、ご婦人方や、その団体の幹事である朝子さんとはすっかり意気投合してしまい、ご厚意に甘えてこのあともご一緒させていただくことになった。現地の方の案内があるのは、とても心強い。同窓会に筆者の様な異人を温かく迎え入れてくれたご婦人方には本当に感謝である。
■ 齋藤邸別邸
続いてやってきたのは斎藤家別邸。かいつまんで言うと、古いお屋敷である。ただ、それなりに歴史のあるお屋敷なので、別に記事をたて、詳しいことはそちらに書いた。興味のある方はそちらを読んでほしい。ここでは、写真で屋敷の様子を伝えるにとどめる。
⇒ 齋藤邸別邸 -新潟市民に愛された商人のお屋敷-
二階大広間から |
主庭の茶室にてガイドさんの説明を聞くご一行。 |
新潟らしくて面白いなー、と思ったのがこれ。多脚の樹である。根上がりの松と呼ぶらしい。
根を張った木のまわりの砂が波風でさらわれ、根っこが地表に出てしまった結果、このような姿になるのだという。木の幹が分かれているのではなく、根っこが地表から露出し、重量を支えるために太くなったものだ。海に近い新潟の古い屋敷ではそこまで珍しいものでもない、とのことだが、初見者にとっては充分なインパクトがある。
主庭から主屋に臨む |
主庭の滝 |
同行のご婦人たちが先に次の場所に向かった後も、自分は庭にとどまって景色を眺め続けた。やっぱり和風庭園っていい。
■ 日和山
せっかく海まで近い距離にいるので、齋藤邸を出た後、海岸に向かってみた。適当に走っていたのだが、ちょうどよく展望台のある場所だったのがラッキー。
展望台 |
地元小学生のマラソン大会に遭遇 |
展望台から見た景色。仙台市民にとってはあまりなじみのない日本海と、奥にうっすら見えるのが佐渡島。昨日ゲストハウス人参で聞いた話によれば「初めて佐渡島を見た人は『あんなにでっけーの!?』って驚くと思うよ」とのこと。まさにその通り。でっけぇ。島というよりも、半島か大陸くらいに思える。
この展望台は「日和山展望台」というのだが、正確にいうとここは堤防の上であって、日和山ではない。本当の日和山はこちら。
展望台から300mほど内陸にある小高い山、というより丘で、標高は約15m。おそらく江戸時代はもっと高い山だったと思われ、新潟で一番の高台だったという。あるいは先ほどの堤防まで、丘が続いていたのかもしれない。
ちなみに「日和山ひよりやま」という名前の山は全国にある。主に港町に多く、船乗りが舟を出せるかどうか天候をチェックし(日和を見)た山のことで、宮城県でいうと仙台と石巻にも存在する。石巻の日和山は、葛西氏の本城だった石巻城址であり、仙台の日和山は「日本一低い山」として知る人ぞ知る、地理マニア向けの名所となっている。
ともあれ、新潟の日和山も、新潟が歴史のある港町だったことの証明だ。いま、日和山のてっぺんからは住宅地に阻まれて海は見えないが、当時はここから多くの人が日本海を眺めていたことだろう。
■ 置屋・川辰仲
日和山を出た後、ご婦人方と合流してランチタイム。そのあと案内してもらったのが、置屋・川辰仲。
そもそも置屋って言われてもピンと来ないと思うのだが、簡単に言うと、芸能プロダクション兼芸者さんのスタンバイルーム、といったあたりだろうか。ここから芸者さんが料亭などへ派遣されるのだ。
ここでは、店主のひろこさんが置屋の内部から芸者・置屋の歴史まで丁寧にいろいろと解説してくれたのだが、説明に夢中であまり写真を撮らなかったのと、あまりこういった文化的知識がないので、ちょっとスキップすることをお許し願いたい。
ひとつだけ書いておきたいのは、芸者って人たちはつくづくプロフェッショナルな存在だったんだな、ということ。一流の芸能と教養を身に着けるために日々努力する。川辰仲では、そんな芸者さんたちの洗練された生活ぶりをを感じることができた。
■ ”新潟コンシェルジュ”こと朝子さん
川辰仲を出て、ご婦人方の同窓会は終了、解散という流れになった。筆者は、幹事で新潟在住の朝子さんにお茶に誘っていただいた。
連れてっていただいたのが、日和山五合目というカフェ。先ほど紹介した日和山にあるカフェで、オーナーさんが『ブラタモリ』の新潟回でタモさんの案内人を務めた、新潟では今話題のカフェなのだそうだ。タモさんを案内したオーナーさんだけあって、店内には新潟の郷土本がいっぱい。筆者の様な歴史好きにはたまらない空間である。
日和山「五合目」と言っても、階段を数段登れば到着。 なんとも洒落たネーミング。 |
今この記事を書いている段階で、筆者は朝子さんとまだ2回しかあっていないので、詳しいプロフィールはわからない。ただ、ひとつわかるのはとにかく新潟で顔が広く、そして新潟を愛している、ということだ。一緒に歩いていて、挨拶されることが何度かあった。もちろん、筆者にではなく朝子さんに対してである。
日和山五合目にて。シューアイスをほおばる朝子さん。この写真を Facebookにアップしたところ、朝子さんの知り合いと思われる方から大量の 「いいね!」がついた。こういうところからも、朝子さんの顔の広さがうかがえる。 |
日和山五合目を出た後も、一度解散して別の宿にチェックインしてから、再度合流して夜の新潟の街をいろいろと案内していただいた。この日はまさに至れり尽くせりで、感謝してもしきれない。
今回、朝子さんが幹事として企画する、某短大の同窓会兼旅行に紛れ込ませていただく形になったのだが、どうも僕のような異邦人が同窓会に紛れることは、今回に限ったことではないらしい笑 どうも旅人を見ると、新潟を案内せずにはいられない様だ。
まさに「旅は道連れ」という言葉を体現されている方である。おそらくこの方の辞書に「人見知り」という言葉はない。筆者は勝手ながら「新潟のサザエさん」と呼ばせていただいている。ゲストハウス人参では「新潟コンシェルジュ」と呼ばれていた。まさに言いえて妙。
朝子さんもそうなのだが、今回、ゲストハウス人参でも、新潟愛に溢れた地元の人たちと多く知り合いになれたのはとても幸運だった。
最近、旅のときはビジネスホテルや旅館に一人で泊まることが多かったのだが、やっぱり旅は現地の人や、同じ旅人どうしが集まるゲストハウスやユースホステルがいい。せっかくの旅先で、一人で宿泊するなんてもったいない。出会ったばかりの人たちどうしでも、すぐに仲良くなれるのは旅人の特権である。
そして何より「出会いこそが旅なのだ」というバックパッカー精神を思い出すことができたのは、ゲストハウス人参と朝子さんに拠るところが大きい。本当に感謝である。
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