太平洋沿いの山元町と、伊具盆地の丸森町を隔てる山地をこえる峠。前回の笹谷峠ほど「国境」感はないものの、小斎城を目指す途中、いいコースにあったので通ってみた。
峠の山頂は三叉路になっており、それぞれ宮城県道44号が山元町と角田市へ、同県道245号が丸森町・金山方面に伸びている。名前の元になっている小斎へは、44号の途中で分岐した道を降りる。
特にそれといった記述は見つかっていないのだけれども、伊達・相馬戦争における小斎城を巡る戦いでは、おそらく相馬勢はこの峠を通って小斎城に向かったと考えるのが自然だろう。
実はこの山頂、そのまま山元町・丸森町・角田市の境界になっている。境界線上の峠でもあり、そこからそれぞれに道が伸びているという、なんともシンボリックな峠なのだ。
これと似た場所に、世界史に登場する条約名でも有名なオランダのマーストリヒトに「ファールスの丘」というのがある。国と市町村で規模は違うものの、こちらもオランダ・ベルギー・ドイツの3つの国境線が交わる場所で、観光名所になっている。
というわけでこの小斎峠、「宮城のマーストリヒト」と勝手に命名。
大きな地図で見る
山頂の三叉路は、道を通すためにだいぶ削ったのだと思われる。三方が丘に囲まれた交差点になっていた。
写真左側が丸森・金山、右側が角田・小斎方面。 後ろ側が太平洋・山元町方面。 |
うぉ! 見事に削られとる!!
Google Mapで後で確認してみると、この一帯が広範囲にわたって削られているのが一目瞭然。
なんの工事なのかと思って看板を見てみると、目的は「土石の採取」になっている。
2年経った日付ではあるものの、開始日が「3月11日」なのも偶然ではあるまい。
この峠のふもとの太平洋側は、東日本大震災の被害をモロに受けた地域である。おそらくは、東北の各地で進んでいる大規模な堤防の構築や護岸工事のために使う土砂を集めているのだろう。
宮城のマーストリヒトの貴重な地形が失われるのはもったいない気もするが、貴重な人命には変えられない。人はこうやって、大地を切り開いて文明社会を発展させてきたのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿