2014年8月17日日曜日

幕末仙台藩 人名録

現状、メモがわりの記事です。随時更新中。


芦名 靱負 あしな ゆきえ
登米郡石越領主。仙台芦名家。
会津征討を主張。

鮎貝 太郎平 あゆかい たろべい
本吉郡松岩領主。1000石。
会津出兵時、伊達筑前とともに兵約700を率いて出陣。

泉田 志摩 いずみだ しま
東磐井郡薄衣領主。
会津征討を主張。

遠藤 文七郎 えんどう ぶんしちろう
栗原郡川口領主。2000石。
家老。勤皇派。

大條 孫三郎 おおえだ まごさぶろう
亘理郡坂本領主。
慶邦の命を受けて京に派遣。会津との和平建白書を退出しようとするも成果はあがらず。

大槻 平泉 おおつき へいせん
大槻一族。一関藩校教成館、養賢堂、江戸・昌平黌に学ぶ。江戸藩邸詰めを命ぜられた後、帰藩し養賢堂学頭となって藩校改革を実施。


大松沢 掃部ノ輔 おおまつざわ かもんのすけ 
黒川郡大松沢領主。
母成峠に出陣。会津兵と交戦し、物資を奪取。

坂 英力 さか えいりき
家老。江戸詰奉行。

佐藤 恒信 さとう つねのぶ
通称宮内。伊具郡小斎領主。1000石。大番頭。
佐幕派。

真田 喜平太 さなだ きへいた
仙台真田家。勤皇攘夷派。砲術訓練指南役。
高島秋帆の弟子、下曽根金三郎に西洋砲術を学ぶ。会津を討ち、仙台も勤皇派になることを主張。

柴田 常則 しばた つねのり
柴田郡村田領主。
但木の前任奉行。蝦夷地の警備、開成丸の建造などを手動するも、独断専行が目立ち御一門衆の不興をかって失脚。復権を狙うも陰謀が露見し水沢に幽閉、断食して死去。

但木 成行 ただき なりゆき
通称土佐。黒川郡吉岡領主。
仙台藩首脳として戊辰戦争を主導。

伊達 邦教 だて くにのり
通称筑前。登米郡寺池領主。2万石。登米伊達家13代。
会津出兵時、平約1000を率いて先鋒として出陣。

玉虫 左太夫 たまむし さだゆう
万延遣米使節団の一員として渡米。佐幕派として戊辰戦争を主導。会津に派遣され松平容保と会談、和平を解く。

三好 監物 みよし けんもつ
勤皇派。
京都で奥羽鎮撫総督府の黒田清隆、品川弥二郎と会談。

若生 文十郎 わこう ぶんじゅうろう
仙台の会津出兵時、横田官平とともに但木土佐の命を受けて会津恭順の交渉に入る。佐川官兵衛とも会談。七ヶ宿会談にも出席。

亘理 胤元 わたり たねもと
涌谷伊達氏13代。復姓前は伊達安芸とも。
戊辰戦争の1868年3月、12歳で家督を相続。叔父の伊達隆教が陣代となり、会津藩境、中山口へ出撃。仙台藩で最も近代化された部隊を率いた。


0 件のコメント:

コメントを投稿