2014年6月29日日曜日

笹谷峠 / 有耶無耶の関

峠が好きだ。

まず、響きがいい。
漢字のつくりもまさに「読んで字の如く」で面白い。
峠のてっぺんから見下ろす景色に心をうばわれる。

何より、峠を越えて、上り坂が下り坂にかわる瞬間の「新しい土地に入った」という実感がたまらない。
国道沿いに掲げられた、無機質な「これより○○県××市」の標識からは得られない体感だ。

この感覚は、昔の日本人にとってはもっと大きいものだったであろう。
ましてや、明治以前の人間にとって峠越えとはほとんどの意味で「国境越え」と同義であった。


今回訪れた笹谷峠も、そんな旧「国境」のひとつ。

奥羽山脈で隔てられた陸奥の国と、出羽の国の国境。江戸時代から現在の地名でいえば、仙台(正確には宮城県川崎町)と山形市の境目。


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峠をこえる道筋は笹谷街道として知られ、古代には多賀城~出羽柵をつないだ歴史のある街道である。

戦国時代には米沢・山形間ルート、大崎・山形間ルートと共に伊達・最上両氏の攻防の焦点となり、慶長出羽合戦の際には留守政景率いる援軍もこの峠をこえて山形入りした。

続く江戸時代以降には、出羽(現在の山形・秋田)諸藩の参勤交代にも利用されたらしい。もっとも、参勤交代のルートは羽州街道の整備とともにそちらに移った様だが、現在も国道286号線として高速・山形自動車道も並走し、東北の東西を結ぶ主要道としてその重要度は今も廃れていない。


■ 峠越え

近年、全国の主要な峠道にはバイパスの役目を果たすトンネルが作られている。笹谷峠にも笹谷トンネルが走ってその任を負っているわけだが、高速の一部なので原チャリでは入れない旅の途中に一直線で風景の閉ざされたトンネルを使うような無粋なマネはしない。うねった峠道を登り、頂上でこれから入る新天地への思いを馳せてから坂を下る。これが峠…いや、国境越えの作法だ。

高速・山形自動車道 笹谷トンネル入り口(仙台側)
早朝から物流トラックが数多く行きかう
笹谷トンネル入り口付近、国道と登山道の分岐点にある説明版
(クリックで拡大)
峠道の入口付近では清流が並行して流れる
峠道といえばこれ。ヘアピンカーブ。どちらかといえば仙台側には
ゆるやかな曲線が多く、山形側でヘアピンが規則的に連続する
道の途中、仙台・太平洋側を望む。写真中央部、山間に広がる霧のじゅうたん。
さすがにこの標高で雲海ってことはないだろうが、朝の霞がそう見えないこともない。


景色と湾曲した道のを楽しみつつ、頂上へ…

「国境」をこえました。このあたりは見晴らしの良い割と開けた平坦地になっていて、高原といった感じ。案内板によると、八丁平という地名らしい。左側の写真でも確認できるが、背の高い植物が見当たらないので、このあたりが森林限界なのかもしれない。


■ どこへ消えた? 有耶無耶の関

さて、この旧国境には昔、「有耶無耶の関」なる関所があったらしい。今回はドライブとともにその関所跡を見たかったのも目的のひとつ。
関跡は、宮城県と山形県の県境の標高906mの笹谷峠にある。東の笹谷宿まで一里半、西の関根(関沢)宿まで一里半、笹谷峠の八丁平と呼ぶ平坦地の南東側にある。笹谷街道は、平安の時代から太平洋側の奥州と日本海側の羽州とを結ぶ重要な街道で、歌枕にも詠まれている。みちのくの難所として聞こえ、「いなむや」「ふやむや」「むやむや」などの名称でも呼ばれた。「義経記」にみえる「伊那の関」、「吾妻鏡」にみえる「大関山」は、この有耶無耶の関と考えられている。
(略)
昔から、笹谷峠は難所として知られている。そのためか、下のような伝説が伝えられている。
この峠には山鬼が住んでいて、人を取って食らっていた。しかしいつのころからか、仙台側の「無耶の観音」と山形側の「有耶の観音」の霊鳥が峠に住み着き、鬼がいる時は「有耶」、いない時は「無耶」と鳴いて旅人に知らせたという。
  (川崎観光ポータルサイト かわさきあそびWEB より抜粋)
もともとGoogleマップで場所は確認していたのだが、八丁平に案内板があったのでそれに従って探索開始。


いちおう登山道になっているようなのだが、道というよりはけものみち。腰の高さまである植物が生い茂り、早朝というタイミングのせいか、朝の霜にまみれて、腰から下はびちょ濡れの状態に。

有耶無耶の関跡の探索中、地味につらかったトラップ。綺麗な
いろどりの花なんですが、そのトゲに何度痛い目にあわされたことか。
というわけで、いろいろと大変な思いをしてGoogleマップの指し示す場所まで来てみたはいいものの、その地点には何もない!

いや、この程度で大変などと言っていては登山家はおろか、最近はやりの山ガールにすら怒られてしまうかもしれない。が、こちらは歩いて数分のコンビニですらバイクを走らせる原チャリライダーである。肉体的にもさることながら、散々歩き回って何も見つからないのは精神的につらい!

Googleマップの指し示す地点付近。何もない!
案内板を見ても、登山道沿いに関所跡があるはずなのだが、おそらくこれがその登山道だろう、という場所を歩いてみても何もない。スマホでGPSを駆使しながらGoogleマップを見ていたので、考えられるのは
1.Googleマップ記載の位置が間違っている
2.GPSがおかしい
3.関所跡はなくなった(あるいは移転した)
4.ただ見逃しただけ
のどれかであろう。

2のGPSに関しては、場所によっては的外れの所を指すこともごくまれにあるけれども、マップを衛星写真モードにして目印になる送電線の鉄塔を確認しながら歩いたので、可能性は低い。

3の廃止・移転説については、後で気になったので川崎町の地域振興課に問い合わせてみた。職員さんによると「震災のダメージもなく、私もこの目で確認してますから。間違いなくありますよ」と強気の主張だったのでこれもない。

4の見逃した説も、前掲の川崎観光ポータルサイトによればこんなに大きな案内版が出ているはずなので、おそらくないだろう。

とすればやはり、1? Googleさん、そこんトコどうなのよッ!?

それにしても何も見つけられなかったのは悔しい。正確な場所や移転情報などを知っている方がいらしたら、ぜひともご一報いただきたいっ!!


■ 鬼は実在したか

山頂の休憩所から山形側を望む
いくら有耶無耶の関だからといって、このままにうやむやにレポートを終わらせてしまってはバツが悪い。ので、最後にちょっと考察じみたことをしてみる。昔この関所付近には人食い鬼が住んでいた、という伝説についてだ。

結論から言うと、おそらく山賊か落ち武者がこのあたりに住みついて、ときおり峠をこえる往来人を襲って生計を立てていたのではないかと思う。

前述のとおり頂上付近は八丁平と呼ばれ、見晴らしはかなり良い。峠を上ってくる人がいれば、すぐにわかるだろう。

また、現在でも冬季には豪雪のために封鎖される場所ではあるが、山地ゆえに植物や動物などの食糧にも恵まれてることが想像され、越冬の準備さえしておけば、通行人からうばった物資も活用することで十分に自活は可能だったのではと思われる。

そんな山賊、のぶせりの類の噂に尾ひれがついた結果、人食い鬼伝説が生まれたのではないだろうか。



…と心残りのある峠越えではあったが、最後の楽しみでるくだり道を通って山形方面へと降る。何が楽しいって、原チャリのエンジンを切って、慣性と位置エネルギーだけでみちを降りていくのが爽快なのだ。朝露でびちょびちょになった靴とGパンを乾かすためにも、おもいっきり足を開いた状態でバイクにまたがる。

迷惑この上ない走り方だが、交通量の極めて少ない早朝の峠道なら許される。
ハズ。

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