ゲーム公式HPはこちら 発売は2014年末。いまさらかよっ! |
そう、信長の野望・創造のパワーアップキット(PK)が発売されたからなのだ!
コイツのせいで筆者のブログ執筆は滞り、奥州の人物事典・観光スポット事典を作り上げようという夢は一歩遠のいてしまった。なんとも罪なゲームである。
■ 簡単な感想
まぁ、それだけ面白いことの証明なのだが、簡単に感想を述べると、PKによって会戦の強化、編集機能の実装、その他多くの機能が追加され、かなり楽しいゲームになっていることは間違いない。
一方、城の改築やら敵武将の調略、朝廷外交といった、勢力が拡大してから行えることに関してはいろいろと増えたのだが、いかんせん弱小勢力からスタートした場合、軌道に乗せるまでが大変で、その間に大きい勢力はより巨大化し、手が付けられなくなる、というこのゲームの特徴については、あまり変わっていないように思える。
1567年8月の全国マップ。東北はほとんどが支城ひとつの弱小大名である。 |
城の強化は、小規模な勢力だからこそ、周りの列強から攻められるからこそ必要なのであり、ある程度の勢力になってからは、防戦よりも攻撃が主体になるので城の改築には(人口を増やす施設以外には)あまり必要性を感じない。
人手不足になりがちな小規模勢力にとって、敵武将の引き抜きも大切なのだが、成長してからは時間と資源を使って引き抜きをするよりも、敵を滅ぼして吸収したほうが速い場合が多い。
朝廷外交による官位の習得、敵勢力との和解も同じ。
ただ、小勢力がこれらの機能を使いこなすのは極めて難しい。金銭収入も、普請を行うための労力も、圧倒的に足りないのだ! 人口が少なすぎる(=労力が少ない)ために人口を増やすための施設を建設できないという、パラドックス!
しかもその間に大きな勢力はより大きくなって、手が付けられなくなる。時間がたてばたつほど不利になっていくのだ。特に、東北のマイナー大名でスタートすることが多いブログ主にとっては痛いところである。
◼︎ ゲームにおける東北は「僻地」扱い
今作における東北の扱いは「酷い」の一言につきる。まずもって、人口が少なすぎる。東北の本城の人口と、近畿の支城では後者の方が多いくらいだ。たとえば1567年「天下布武」のシナリオでは陸中の本城・高水寺城の人口8770人に対して近畿の支城・有岡城は14587人である。
そのぶん諸勢力が多く、これらを取り込むことでカバーは可能だが、取り込みで人口が増やせる本城はともかく、支城はどうしようもない。
また、街道の整備状況も悲惨なもので、レベル3の街道はまったく存在しない。現在の国道4号・奥州街道ですらこれである。ただでさえ山道ばっかりなのに。一概に、東北は国力を増強するよりもまずは基本的な体制を整えることから始めなければいけないという点で、大きなディスアドバンテージを背負っている。
また、本城の少なさも気になるところ。いくらなんでも北海道から福島までを統一して本城が10(北から徳山館、石川城、檜山城、三戸城、高水寺城、山形城、利府城、米沢城、小高城、会津黒川城)では少なすぎる。できれば
- 岩城を東西に分割 → 現在の中通りと浜通りに分割、二本松もしくは須賀川あたりを本城に。伊達領の桑折西山に城をもうけてそこを本城化してもいいかも
- 北羽前を南北に分割 → 庄内地方を独立、鶴岡もしくは酒田を本城に
- 陸前を南北に分割 → 宮城北方の葛西家を強化、寺池あるいは石巻を本城に
- 羽後を南北に分割 → 横手地方を独立、横手あるいは由利本荘あたりを本城に
くらいの扱いがあっても、ほかの地域と比較して不公平ではあるまい。ちなみに東北よりも狭い九州は本城の数が12である。
■ そこは違うよコーエーさん
さて、ここからは細かいツッコミを入れていく。史実と明らかに相違する部分もあるので、できれば改善をお願いしたいところ。
01.関ヶ原シナリオにおける鶴岡城の扱い
これは明らかな史実ミスである。関ヶ原シナリオにおいて庄内の鶴岡城が最上家所属になっているのだが、正しくは上杉領である。
現山形県地域を完全統一してしまった最上家。いや、最上義光 おじさまにとっては願ったりかなったりなのだが…。いいのか? |
これはかなり重大なミスで、東北の関ヶ原である慶長出羽合戦はこの庄内の扱いが遠因で起きたとも言えないことはない。簡単に経緯を述べると、
というわけで、この関ヶ原シナリオで庄内が最上家領有になっていると、いくぶん最上義光おじさまの苦悩が再現しきれない。これは早急に改善すべきであろう。
あとついでに庄内地方について言及するなら、酒田に港がないのはどうなんだ!? 日本海有数の港町である酒田に港がないだとぉ?
戦国末期、最上家と上杉家はどちらも庄内地方の領有をもくろんでいた。結局、上杉家が十五里ヶ原の戦いで最上家を破り庄内を手に入れるのだが、これは秀吉による惣無事令のあとだったために、厳密には無効化されなくてはいけない戦果だった(たとえば、政宗は惣無事令の後に手に入れた会津の領有を放棄せざるを得なくなっている)。
上杉家は早くから秀吉と通じていたため、例外扱いされ結局庄内は上杉領有のままとなる。これは上杉が越後から会津に移封となったのちも続き、最上から見れば会津と庄内に挟まれ、上杉からみれば最上領が会津と庄内を分断している、という対決不可避な状況になってしまった。...といったところ。実際に慶長出羽合戦の際には、最上は会津方面からも庄内方面からも攻められ、ボッコボコにされながらも(政宗の送ってきた援軍はろくに動かねーし)なんとか長谷堂で進撃を食い止めているうちに関ヶ原で東軍勝利の報がとどき上杉撤退...というながれなのだ。
というわけで、この関ヶ原シナリオで庄内が最上家領有になっていると、いくぶん最上義光おじさまの苦悩が再現しきれない。これは早急に改善すべきであろう。
あとついでに庄内地方について言及するなら、酒田に港がないのはどうなんだ!? 日本海有数の港町である酒田に港がないだとぉ?
02.白石城が登場しても良いのでは?
同じく関ヶ原シナリオへのツッコミ。史実ではまず
03.南部家を攻撃させろ!
またも関ヶ原シナリオへのツッコミ。関ヶ原の戦いに乗じて政宗は南部家に対し小細工をしかけている。
岩崎一揆と呼ばれるものがそうで、簡単にいうと奥州仕置ののちに南部領となった和賀地域の旧領主・和賀忠親をそそのかし、おなじ東軍である南部家を裏から攻撃するという工作を行っているのだ。なお、これがバレたために政宗は家康からの「100万石のお墨付き」を反故にされてしまうのである。最後の最後まで手癖の悪い、政宗の面目躍如? なシーンである。
ところが、ゲームではこれを再現できない。伊達も南部も同じ「石田家包囲網」に参加しているために、お互いへの攻撃ができないシステムになっているのだ。包囲網参加勢力同士でも攻撃は可能で、そうすると参加勢力からの信用が下がる、とか、そういうシステムにしてくれないかなぁ。
もっとも、包囲網をしかける側からしてみれば、おいそれと参加国同士でドンパチやってくれるのも困りものではあるのだが...。
04.石川家を出してくれ!
PKで白河小峰に白河家が登場したことで、東北の大名はほとんど出そろった感があるが、ひとつだけ忘れられている勢力があるのに気付いただろうか? そう! 石川家である! 支城ひとつの大名としてでもいいので、登場させてほしかったところ。
本拠地は三芦なので、ゲームに登場する地点としては表郷か棚倉あたりが妥当か。
戦国末期の当主は石川昭光で、伊達晴宗の息子であり、政宗の叔父である。摺上原の戦いのあとで政宗に降伏し、伊達一門の筆頭となる地味な重要人物でもある(なお、伊達成実が一時期出奔したのは、この石川昭光が外様のくせにいきなり最高ランクという扱いに不満をもったからとも言われる)。
もっとも、3月のアップデートで支城勢力を編集・登場させることができるようになったので、人力編集でこれを再現することは可能になった。
ついでにいうなら、上記の和賀家も登場させてほしいところ。ゲームでは諸勢力として岩崎に和賀衆・和賀義勝が登場するが、稗貫家が独立勢力として登場するならそこは和賀家もだろ! とは思い禁じえない。こちらはすでに諸勢力として登場しているので、人力編集もできない。
同じく諸勢力として登場する黒川晴氏も、いっそのこと黒川家としてだしてくれないかなぁ...とも思ったりするのは、ブログ主の東北愛ゆえであろうか...。
05.胆沢城っていつの時代やねん! そこは水沢城にしとけや!
あやしい関西弁を使って気を悪くした関西の方がいらしたら申し訳ない。東北の田舎モンががんばってツッコミをしてみた結果がこれである。
さて、上記画像の下部にうつっている胆沢城。これはいくらなんでも年代が古すぎる。胆沢城は平安時代の蝦夷対策の城柵で、この時代からみればすでに遺跡レベルの古城である。この時代、この地域の城としては水沢城が妥当だろう。
些細なポイントではあるが、ブログ主には利府城が多賀城として登場するくらい違和感がある。もっとわかりやすく言うなら、戦国時代の京都が「平安京」として登場するくらいの違和感、と言えばピンとくるだろうか。
城の名前についてはキリがないのだが、先述のように杉目城は時期によっては福島城とするべきだし、黒川城も会津若松城、小泉城もいっそのこと千代城(後に仙台城、青葉城)でいいじゃねぇか、とも思う。
...とまぁいろいろとツッコんではみたものの、ゲームとしての信長の野望・創造は「面白い」の一言につきる。なにせ、ブログ主の執筆を3か月延滞させたほどの威力だ(しつこい)。
今回、登場地域と武将が前シリーズまでと比べていっきに増えたため、このブログ主のような輩どもから重箱の隅をつつくような攻撃にさらされてしまうことになった開発陣には同情の思いを禁じ得ない。次回作、あるいは今後のアップデートにも期待大である。
...なお、このブログの人物事典シリーズでこのゲームの顔グラフィックを勝手に使用していることについてこの場を借りてお詫びしたい。その分宣伝になっているとはおもうので、なんとか許してください、コーエーさんっ!!
同じく関ヶ原シナリオへのツッコミ。史実ではまず
- 伊達政宗が上杉領へと侵攻
- 伊達・上杉が和睦
- 上杉が最上領へと侵攻(上記で述べた慶長出羽合戦)
という流れなのだが、このシナリオではいきなり3から始まる。やはりここは1の伊達vs上杉から始めてほしいところであり、その舞台となるのが片倉小十郎の城として腐女子歴女のおねーさま方に人気上昇中の白石城なのだ。
画面中央の赤いポイントが白石。もともと伊達領だったが、葛西・大崎一揆の煽動を疑われた ことにより没収。蒲生領をへて関ヶ原当時は上杉家の領土だったものを伊達政宗が奪回。 |
これは関ヶ原前後に伊達政宗が唯一強奪に成功した重要な地域であるので、ぜひとも登場させてほしかった。
なお、地点としての白石は登場し、人力で築城することは可能である。しかも平地の街道が4つ交わる好立地! なぜここに白石城を置かない!? 加えて細かい指摘ではあるが、この時期 杉目城はすでに福島城に改名している。
03.南部家を攻撃させろ!
和賀忠親は武将としては伊達家所属で 登場する。関ヶ原の戦いのあと、責任を 感じて切腹したことになっている...のだ が、本当のところはどうだったのだろう? ね、政宗くん? |
岩崎一揆と呼ばれるものがそうで、簡単にいうと奥州仕置ののちに南部領となった和賀地域の旧領主・和賀忠親をそそのかし、おなじ東軍である南部家を裏から攻撃するという工作を行っているのだ。なお、これがバレたために政宗は家康からの「100万石のお墨付き」を反故にされてしまうのである。最後の最後まで手癖の悪い、政宗の面目躍如? なシーンである。
ところが、ゲームではこれを再現できない。伊達も南部も同じ「石田家包囲網」に参加しているために、お互いへの攻撃ができないシステムになっているのだ。包囲網参加勢力同士でも攻撃は可能で、そうすると参加勢力からの信用が下がる、とか、そういうシステムにしてくれないかなぁ。
もっとも、包囲網をしかける側からしてみれば、おいそれと参加国同士でドンパチやってくれるのも困りものではあるのだが...。
04.石川家を出してくれ!
PKで白河小峰に白河家が登場したことで、東北の大名はほとんど出そろった感があるが、ひとつだけ忘れられている勢力があるのに気付いただろうか? そう! 石川家である! 支城ひとつの大名としてでもいいので、登場させてほしかったところ。
本拠地は三芦なので、ゲームに登場する地点としては表郷か棚倉あたりが妥当か。
戦国末期の当主は石川昭光で、伊達晴宗の息子であり、政宗の叔父である。摺上原の戦いのあとで政宗に降伏し、伊達一門の筆頭となる地味な重要人物でもある(なお、伊達成実が一時期出奔したのは、この石川昭光が外様のくせにいきなり最高ランクという扱いに不満をもったからとも言われる)。
もっとも、3月のアップデートで支城勢力を編集・登場させることができるようになったので、人力編集でこれを再現することは可能になった。
ついでにいうなら、上記の和賀家も登場させてほしいところ。ゲームでは諸勢力として岩崎に和賀衆・和賀義勝が登場するが、稗貫家が独立勢力として登場するならそこは和賀家もだろ! とは思い禁じえない。こちらはすでに諸勢力として登場しているので、人力編集もできない。
同じく諸勢力として登場する黒川晴氏も、いっそのこと黒川家としてだしてくれないかなぁ...とも思ったりするのは、ブログ主の東北愛ゆえであろうか...。
05.胆沢城っていつの時代やねん! そこは水沢城にしとけや!
あやしい関西弁を使って気を悪くした関西の方がいらしたら申し訳ない。東北の田舎モンががんばってツッコミをしてみた結果がこれである。
さて、上記画像の下部にうつっている胆沢城。これはいくらなんでも年代が古すぎる。胆沢城は平安時代の蝦夷対策の城柵で、この時代からみればすでに遺跡レベルの古城である。この時代、この地域の城としては水沢城が妥当だろう。
些細なポイントではあるが、ブログ主には利府城が多賀城として登場するくらい違和感がある。もっとわかりやすく言うなら、戦国時代の京都が「平安京」として登場するくらいの違和感、と言えばピンとくるだろうか。
城の名前についてはキリがないのだが、先述のように杉目城は時期によっては福島城とするべきだし、黒川城も会津若松城、小泉城もいっそのこと千代城(後に仙台城、青葉城)でいいじゃねぇか、とも思う。
...とまぁいろいろとツッコんではみたものの、ゲームとしての信長の野望・創造は「面白い」の一言につきる。なにせ、ブログ主の執筆を3か月延滞させたほどの威力だ(しつこい)。
今回、登場地域と武将が前シリーズまでと比べていっきに増えたため、このブログ主のような輩どもから重箱の隅をつつくような攻撃にさらされてしまうことになった開発陣には同情の思いを禁じ得ない。次回作、あるいは今後のアップデートにも期待大である。
...なお、このブログの人物事典シリーズでこのゲームの顔グラフィックを勝手に使用していることについてこの場を借りてお詫びしたい。その分宣伝になっているとはおもうので、なんとか許してください、コーエーさんっ!!
小泉城は海沿いですので立地としては千代城ですね。
返信削除会津若松城は蒲生氏郷による改名なので戦国時代は黒川城です。
西日本でも有岡城は荒木村重以前だと伊丹城だとかいろいろ有りますけど。
(というか、城主の伊丹親興が居ない)
伊達家のうち、留守、国分、亘理はそれぞれ利府、小泉、亘理の独立大名で良かったのではないかともおもいます。
もちろん石川も。
独立大名が伊達家に血縁でなし崩しに家臣化されていく様がゲーム化されたら楽しいと思います。
コメントとご指摘ありがとうございます。
削除自分も似たようなことを考えていました。東北の中小諸大名は独立勢力として登場させ、婚姻と従属化の機能を併せることで、伊達稙宗の婚姻政策を再現できるのではないかと。史実では実現しなかった、政宗の弟・小次郎の蘆名入嗣により蘆名も戦わずに従属させちゃうとかもできたら面白いのではないかと。